妖怪仮装文化についての一考察 #2

 さて、前記事で妖怪仮装行列イベントの発端と、そして人間による妖怪仮装行列を通じて、「聖地」ともいえる場の空間が創出されていることを言及した。

 後だしとなってしまうが、続いては「京都一条百鬼夜行」と似た様相を持つ、もう一つのイベントについても言及しておきたい。それが、「越後くがみ山酒呑童子行列」である。

新潟県 越後くがみ酒吞童子行列

 このイベントは、2005年に新潟県燕市分水地区観光協会が主催として始まった。参加者が鬼面を創作し、鬼に扮して国上寺から酒呑童子神社までを練り歩くイベントである。道の駅国上では関連イベントも開催されている。

 このイベントの背景には、旧分水町の酒呑童子誕生の伝承がある。一般的に「酒呑童子」伝説で知られているのは、江戸時代に刊行された『御伽草子』所収の京都大江山の鬼・酒呑童子の物語であろう。この物語は、酒呑童子とその眷属を源頼光と保昌他、四天王が仏の力を借りて退治する話である。

 しかし、酒呑童子の話はそれだけではない。古くは南北朝の時代から現代においてあらゆる形で伝えられ、能、歌舞伎、浄瑠璃、浮世絵、草草子などの作品の題材となっている。

 そして、『御伽草子』で語られる酒呑童子は、自らのことを「本国は越後の者、山寺育ちの児なりし法師にねたみあるにより、あまたの法師を刺し殺し、その夜に比叡の山に着き、我がすむ山ぞと思ひし」と語る。

 これは、新潟県の酒吞童子伝説に繋がっている

新潟県「酒呑童子」伝説

 その昔、桓武天皇の王子は越後へ下り、お供してきた、否瀬善治俊綱が砂子塚に白を築いた。
 数代の地の俊兼は子宝に恵まれなかったため、戸隠山の九頭竜権現に祈願したところ妻が身ごもり十六カ月後に男児が生まれ、外道丸と名付けられた。
 外道丸は大きくなるに従い乱暴者となり、国上寺に稚児として預けられた。その後外道丸をなにより心配していた母がなくなったことを機に、ひたすら仏道の修行に励むようになった。
 外道丸はまれにみる美男子だったため、近隣近郷の娘たちから恋文が山のように届いたが、開くこなく修行に励んでいた。
 ところがある日、外道丸から返事が来ないことを悲観した娘が己の命を絶った。そのことを知らされた外道丸が、恋文の詰まったつづらを明けると紫色の煙が立ち上り、外道丸を鬼の顔に変え、「酒呑童子」となってしまった。
(パンフレットより抜粋)

 このように、旧分水町には酒呑童子の生い立ち伝説が伝わっている。あくまでこの祭りは酒呑童子伝説という「民俗」を観光資源として利用し、町おこしに活用した事例である。そのため、「妖怪」の仮装をすること自体を目的としたイベントではない

 この祭りで着目したいところが、当イベントにおいて酒呑童子という「妖怪」は、間にとって親しみやすい存在、すなわち酒呑童子がもとは人間だったことが強調されることで、鬼と人間という正反対のものが近い存在として「演出」をしていること。さらに「鬼の扮装」によるわかりやすい視覚的なイメージによって、その恐ろしさや不可思議さをなくし、新たな酒呑童子の「表象」を生み出している点だ。

 つまり、「仮装」によって、鬼の行列が伝説上があるとするその地域に出現する「演出」によって、そこが酒吞童子出生の地であるという「聖地」化。さらに、「仮装」によって酒吞童子イメージの再生産をしているのだ。

 徳島県山城・大歩危妖怪村 妖怪まつり

 また、もう一つ「仮装」による「妖怪」イメージの再生産の事例として取り上げたいのが徳島県山城・大歩危妖怪村「妖怪まつり」である。

 イベントの主宰大歩危妖怪村であり、何か地域を振興するものがほしいという自治体の要請にこたえる形で、「妖怪」を用いた町おこしをしてきた。「妖怪まつり」は、2001年の「児啼爺」石像建立の除幕式のような形で当初は行われたのだが、もともと町にあった紅葉狩りイベントと合体した「妖怪紅葉まつり」が2002年から何度か行い、そのうち「妖怪」を前面に出した「妖怪まつり」へとなっていったという。

 では、このイベントでの妖怪「仮装」は、どのように始まったのだろうか。
 かつて水木しげる氏が会長として率いていた世界妖怪会議が京都府の映画村で行われていたのだが、それを記念して行われていた河野隼也氏の「妖怪電車」をきっかけに始まったという。
 最初は水木しげる氏の「ゲゲゲの鬼太郎」キャラクターを造形していたが、後に地域に伝わる「妖怪」で被り物を作っていくようになった。

 以上、非常にざっくりとイベントの経緯をみてきたわけであるが、そのおこりは「町おこし」を目的としたものであり、決して「妖怪」の仮装イベントが最初から目的となっていたわけではない。
 「町おこし」のテーマとして、まず「妖怪」の伝承があり、そこからさらにどう発展させるのかを追及した先に、妖怪「仮装」に行きついたというのが筆者の見方である。そして、そこから「妖怪」の伝承のある地域としてのイメージ生産に繋がっていたわけである。

 さて、三つのイベントを通して、その地域にある「妖怪」の伝説・物語を基盤として、人がそれらにまつわる「仮装」を行い、「聖地」化させている事例をみてきた。

 一方で、こうした事例とは一線を画すイベントがある。それが、福島県中ノ沢温泉で行われる「雪女行列」である。

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