妖怪仮装文化について、ひな吉は個人的にいろいろと考えたり、考察やら取材やらをしてまいりました。それに関する集大成を、なんとか今年中にまとめられないかなあと考えた次第で、始まったのが今回の記事です。タイトルですでに察したかと思いますが、長くなるため、少しずつ分けての投稿をさせていただきます。
また、この考察は一個人のあくまで考察に過ぎないことを明言しておきます。つっこみどころたくさんあると思いますが、生暖かい目で眺めて、ツッコみたかったらコメントでコメントしてください。また、この記事を書く上で、実在の方々や、その方々が行われているイベントに関して言及しております。筆者への誹謗中傷はさて置き、この方々に対しての誹謗中傷は、どうか控えていただくことを、読者の皆様にはお願い申し上げます。
一章:妖怪仮装文化のはじまり
妖怪仮装文化、それを追う上で避けられないイベントがある。そう、「京都一条百鬼夜行」である。まずはこの成立から見てゆきたい。
大将軍商店街の一条百鬼夜行の成立
2005年に当時大学院生であった河野隼人氏によって、「妖怪」による町おこしが始められた。はじめは「妖怪で有名になってしまったら地価が下がるのではないか」などの反対の声もあったそうだ。
では、なぜ「妖怪」による町おこしを始めたのだろうか。一条通りには、妖怪たちが大行列をしたという伝説があるという。また、『徒然草』や『宇治拾遺物語』の中には「異形の群れ」が出没する話があり、人はそれを「百鬼夜行」と呼んだ。
こうした「伝説」を背景にして、河野氏率いる妖怪芸術団体「百妖箱」が妖怪に扮し、大将軍八神社の秋祭りに合わせて「百鬼夜行仮装行列」を行ったのである。結果、多くのテレビや新聞で取り上げられ、全国からたくさんの妖怪ファンがやってくるきっかけとなったのである。これが、現在にも続く妖怪仮装イベント「京都一条百鬼夜行」の始まりである。
その後、2007年には同氏によって京副電鉄の嵐電で「妖怪電車」というイベントが始められる。これは、河野氏率いるスタッフ陣が妖怪になって乗り込むほかに、妖怪に仮装した一般の人も乗りこむ、いわば「動くお化け屋敷」イベントだ。さらに2009年には妖怪関連の創作物を販売する妖怪アートフリーマーケット・「モノノケ市」が始まる。
仮装文化はすでにハロウィーンやコミックマーケットなどにおける仮装イベントによって1990年代~2000年代中盤に広がった。とくにハロウィーンの仮装イベントは、都市部での大規模なストリートパーティーを通じて急速に普及した。こうした史的な背景に、「京都一条百鬼夜行」もまさに含まれていることがみえてこよう。
一条通りの「百鬼夜行」再考
先述した通り、筆者は河野氏によってはじめられたイベント「一条百鬼夜行」が妖怪仮装というものの始まりなのではないかとみなしている。
ここで、妖怪仮装というものにフォーカスして考察していく前に、少し筆を止めて「一条百鬼夜行」というイベントについて考えたい。というのも、「京都一条通りには妖怪の伝説がある。」ということに疑問を持ったからだ。
一条通りで「妖怪」が行ったという行列、それはおそらくだが『付喪神絵巻』のことを指しているのではないかと考える。
『付喪神絵巻』とは、室町時代に成立した妖物に変化した古道具たちが、人間への復讐を図って悪さをするも、最後には改心、仏門での修行を経て成仏を果たす、という創作物である。
康保の頃、暮れの煤払いで捨てられた古道具たちが人間への復讐を図って、数珠一連の制止も聞かず、古文先生の教えに従って妖物と変じる。船岡山の後ろに群拠し、都へ出ては悪さをする。変化大明神を祀り、卯月五日に一条大路を行列した折、関白に行き会って尊勝陀羅尼の威力に退散する。さらに護法童子の追討を受けて改心、一連のもとで修行し成仏を果たす。
付喪神=妖怪であるのか、という議論はかっこに入れておくとして(これを議論するには、まだまだ筆者が未熟な知識なのです)、ここで大事なのは、『付喪神絵巻』は室町時代の創作物であるという点だ。『付喪神絵巻』と同時代に大徳寺真珠庵蔵の『百鬼夜行絵巻』が土佐光信の手によってえがかれており、異形のモノが行列を行うという着想が通じている。ただし、あくまでどちらも創作物なのであり、実在する人物名や地名、事件が起きた時代を交えて「事実」として報告するもののことを指す「伝説」ではないのだ。
では、イベント「京都一条百鬼夜行」は何を地盤として「妖怪」イベントをしているのだろうか。
ここからは、河野氏ではなく、あくまで筆者の解釈であることを留意させていただきたい。
当イベントにおいて、現代における通俗的な「妖怪」概念、すなわち『「妖怪っぽいもの」であるものはすべて「妖怪」である』をもって、『付喪神絵巻』は妖怪の伝説であるという解釈がなされたのではないかと考える。
では、なぜそうした「妖怪の伝説がある土地」という、いわば創作物より生産されたイメージが、実在する一条通りに与えられ、そして人々を引き付けているのだろうか。
筆者は、まさにこれは「聖地巡礼」と似たような構造を持っているのではないかと考える。
創出された「妖怪のいる空間」と「聖地巡礼」
ここでいう「聖地巡礼」とは、コンテンツ・ツーリズムの一種であるマンガ・アニメの「聖地」を作品のファンが訪問することを指す。「聖地巡礼」は、日常から離れた特別な空間を提供し、参加者にファンタジーの世界への没入体験を提供するのだ。
「京都一条百鬼夜行」は、まさにこうした特別な空間を観光客に与えているのではないだろうか。一条百鬼夜行の来訪者は、「かつて妖怪が百鬼夜行をなした」という創作を体験することを目的としていると考えられる。いってしまえば、観光客にとって、「京都一条百鬼夜行」が行われるその場所は、ただの商店街ではなく、「妖怪」が行列を成すことを体験できるテーマパークなのだ。
ここで強調しておきたいのが、『付喪神絵巻』という創作物から、「妖怪がかつてここを行列を成したのだ」という空間へのイメージを創出し、その場をいわば「妖怪」のテーマパーク的にみなすことは、アニメ・漫画に登場する場所を「聖地」とみなすプロセスと通ずるものがある。
しかし、それだけで終わらないのが「京都一条百鬼夜行」なのだ。
その生成されたイメージを、さらに現実に仮装イベントを行うことで、さらに「一条通りは『妖怪』が行列を成す空間である」というイメージを再生産しているのである。
#2へ続く
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