皆様は怪談はお好きでしょうか?ひな吉は大好きです!!
さて、そんな怪談ですが、多くの怪奇小説家の手によって、新しい怪談が生み出され、あるいは今時ネット上の掲示板などで多くの怖い話を読むことができます。
さて、そういった話もいいけれど、今でも読みつがれるような、本格的な幽霊の話はやっぱり良いものです。今回は、いわゆる「日本三大怪談」と称される名作のあらすじをご紹介したいと思います。
『四谷怪談』
鶴屋南北『東海道四谷怪談』 あらすじ
時は暦応元年、元塩冶家の家臣、四谷左門の娘・岩は夫である伊右衛門の不行状を理由に実家に連れ戻されていました。伊右衛門は左門に岩との復縁を迫りますが、過去の悪事(公金横領)を指摘され、辻斬りの仕業に見せかけて左門を殺害。同じ場所で、岩の妹・袖に横恋慕していた薬売り・直助は、袖の夫・佐藤与茂七(実は入れ替った別人)を殺害していました。ちょうどそこへ岩と袖がやってきて、左門と与茂七の死体を見つけます。嘆く2人に伊右衛門と直助は仇を討ってやると言いくるめ、伊右衛門と岩は復縁し、直助と袖は同居することになります。
田宮家に戻った岩は産後の肥立ちが悪く、病がちになったため、伊右衛門は岩を厭うようになります。
そんな折、高師直の家臣伊藤喜兵衛の孫・梅は伊右衛門に恋をし、喜兵衛も伊右衛門を婿に望んでいました。高家への仕官を条件に承諾した伊右衛門は、按摩の宅悦を脅して岩と不義密通を働かせ、それを口実に離縁しようと画策します。
その画策とは別に、喜兵衛は岩のところに使いをやり、薬を彼女に贈ります。しかし、これは実は毒薬でした。毒薬のために容貌が崩れた岩を見て脅えた宅悦は、伊右衛門の計画を暴露します。
岩は悶え苦しみ、置いてあった刀が首に刺さって死んでしまいます。伊右衛門は家宝の薬を盗んだ咎で捕らえていた小仏小平を惨殺。伊右衛門の手下は岩と小平の死体を戸板にくくりつけ、川に流します。
その後、伊右衛門は伊藤家の婿に入るが、婚礼の晩に幽霊を見て錯乱し、梅と喜兵衛を殺害、逃亡してしまいます。
一方そのころ、袖は宅悦に姉の死を知らされ、仇討ちを条件に直助に身を許しますが、そこへ死んだはずの与茂七が帰ってきます。結果として不貞を働いた袖はあえて与茂七、直助二人の手にかかり死んでします。そして、袖の最後の言葉から、直助は袖が実の妹だったことを知り、彼も自害をしてしまいます。
さて、伊右衛門はというと、蛇山の庵室で岩の幽霊と鼠(岩は子年という設定ゆえに鼠が岩の仕業だと作品の中では描かれています)に苦しめられて狂乱していました。そこへ真相を知った与茂七が来て、舅と義姉の敵である伊右衛門を討つのです。
『四谷怪談雑談集』 あらすじ
『四谷怪談雑談集』は、鶴屋南北が『東海道四谷怪談』の下敷きにしたと考えられるものです。今回はこちらも紹介したいと思います。あらすじではありますが、歌舞伎狂言として書かれた鶴屋南北の作品との相違をぜひ、楽しんでいただきたいです。
時は元禄の頃、四谷で同心(下級役人)を務める田宮又左衛門に眼の悪いお岩という名前の娘がいました。又左衛門はお岩に婿養子をとってもらって隠居をしたいと考えていましたが、お岩は疱瘡に罹って皮が剥けるなど、醜い容姿になってしまいます。
数年後に又左衛門が死去してしまい、彼の朋輩が改めてお岩の婿探しをしますが、容姿のこともあり誰も婿に来てくれません。そこで口が上手い人物を雇って、半ば騙す形で伊右衛門という男を婿に引き入れます。
お岩の姿を知った伊右衛門は驚愕しましたが、今さら嫌だとは言えません。しばらくは我慢していましたが、徐々に醜いお岩を疎んでいくのでした。
そんな折、伊右衛門は上司の伊東喜兵衛という男の家に遊びに行きます。そこで喜兵衛の妾であったお花という女性と出会い、二人は恋仲に。
お花は喜兵衛の子を妊娠していましたが、喜兵衛もいい年なので誰かにお花を渡したいと考え、伊右衛門に引き受けてくれないかと相談しました。伊右衛門にとっては願ってもない申し出ですが、伊右衛門にはお岩がいます。そこで伊右衛門と喜兵衛は共謀し、お岩のほうから離縁を持ちかけるように仕向けました。
それからというもの、伊右衛門は酒に溺れお岩に対して暴力を振るったり、家財を売って女を買ったりと傍若無人な振る舞いを行いました。いきなり人が変わった伊右衛門に悲しむお岩に、喜兵衛が伊右衛門とは離婚した方が良いと勧めるのでした。
喜兵衛と伊右衛門の策略でまんまと離婚させられたお岩は、家を出て御家人への奉公をすることに。お岩を捨てた伊右衛門は、すぐにお花と結婚しました。
一方、奉公に出ているお岩の元に茂助という人物が現れます。茂助はお岩に、伊右衛門がお花と結婚したこと、喜兵衛と伊右衛門が「お岩」が別れるように仕向けたことを暴露しました。
その話を聞いたお岩は般若のような形相で怒り狂い、突如としてどこかへ走り去ってしまいます。その後、お岩の捜索が行われましたが、彼女が見つかることはありませんでした。
しかしある夏の日の夜に、「伊右衛門、伊右衛門」と呼ぶ「お岩」らしき女が現れたことで、幸せは終わりを迎えます。子どもが次々と不可解な死を遂げるなどして、田宮家は断絶してしまいます・・・。
『皿屋敷』
お菊という女性の幽霊が皿を数えるという怪談である『皿屋敷』は様々なバリュエーションがあります。今回はその中でも二つをピックアップいたしました。
『番町皿屋敷』 あらすじ
牛込御門内五番町にかつて「吉田屋敷」と呼ばれる屋敷があり、これが赤坂に移転して空き地になった跡に千姫の御殿が造られたといいます。それも空き地になった後、その一角に火付盗賊改・青山播磨守主膳の屋敷があり、ここに菊という下女が奉公していました。
承応二年正月二日、菊は主膳が大事にしていた皿十枚のうち1枚を割ってしまいました。怒った奥方は菊を責めますが、主膳はそれでは手ぬるいと皿一枚の代わりにと菊の中指を切り落とし、手打ちにするといって一室に監禁してしまいます。
菊は縄付きのまま部屋を抜け出して裏の古井戸に身を投げてしました。
まもなく、夜ごとに井戸の底から「一つ……二つ……」と皿を数える女の声が屋敷中に響き渡るようになります。やがて、奥方が子供を産みますがこの子供には右の中指がありませんでした。
やがてこの事件は公儀の耳にも入り、主膳は所領を没収されました。
その後もなお屋敷内で皿数えの声が続くというので、公儀は小石川伝通院の了誉上人に鎮魂の読経を依頼しました。
ある夜、上人が読経しているところに皿を数える声が「八つ……九つ……」、そこですかさず上人は「十」と付け加えると、菊の亡霊は「あらうれしや」と言って消え失せたといいます。
『播州皿屋敷』 あらすじ
戦国時代、姫路を小寺氏が治めていたころのことです。小寺氏の重臣で青山に館をかまえる青山鉄山という人がいました。鉄山は常々、小寺氏に代わって自分が姫路城主になりたいと思っていました。小寺氏もこうした鉄山の野望に気づいていて、様子を探るためにお菊という女性を、鉄山の館に召使いとして住みこませていました。
永正元年、小寺氏の当主が亡くなり、まだ若い則職があとを継ぎました。これをチャンスと見た鉄山は、翌年の春、姫路の北にある随願寺で開かれる花見のときに、酒に毒をしこんで、小寺一族を暗殺してしまおうとたくらみました。しかし、鉄山の子息・小五郎が父を止めようとします。
怒った鉄山は小五郎を牢屋に閉じこめました。これを知ったお菊は小五郎をかばい、小五郎から鉄山の悪いたくらみを知らされると、急いで主君の小寺則職に伝えました。そのおかげで、鉄山たちのくわだては、すんでのところで防がれました。
しかし、それからすぐに播磨では大名同士の大きな争いがおこりました。その中で勝った方についた鉄山はついに姫路城を占領し、敗れた小寺則職は瀬戸内海に浮かぶ家島へと落ちのびていきました。
季節は梅雨のころ、姫路城を手に入れて大喜びの鉄山は、近くの土豪たちを集めて宴会を開きました。そして、そばを振る舞うために、「こもがえの具足皿」と呼ぶ小寺家の家宝であった十枚ぞろいの皿を出すことにしました。
鉄山の家来である町坪弾四郎は、常々お菊に好意を持っていたのですが、お菊は相手にしませんでした。これをうらみに思った弾四郎は、お菊が用意することになっていた十枚ぞろいの皿のうち一枚をかくし、お菊がなくしたと疑われるようにたくらみました。
皿が一枚足りないことを知った鉄山は、お菊をきびしく責めようとします。そこを弾四郎がなだめすかし、お菊は弾四郎の屋敷に預けられることになりました。
ねらいどおりに事がはこんで喜ぶ弾四郎は、この時とばかりお菊に思いを伝えますが、やはりお菊は相手にしません。おこった弾四郎は、お菊を屋敷の庭の松につるしあげるなど散々に暴力をふるった末に、井戸へ投げこんで殺してしまいました。
するとその夜から、井戸のあたりで「一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚、七枚、八枚、九枚…。」と皿を数えるお菊の悲しげな声が聞こえ、屋敷中にガラガラと皿の音が鳴りひびくようになりました。人々はこれをおそれ、この屋敷を「皿屋敷」と呼ぶようになりました。
やがて、小寺則職は味方の大名の助けをえて姫路城を取り返しました。青山鉄山は討ち死にし、小五郎も父の行いをはじて自殺しましたが、町坪弾四郎はかくしていた皿を持って降伏を願い出ました。しかし、則職は許さず、室津にいたお菊の妹二人の仇討ちの願いを聞き入れ、弾四郎を討ちとらせたのでした。
『怪談牡丹燈籠』
『怪談牡丹燈籠』について
『怪談牡丹燈籠』は明治時代成立の落語の怪談噺です。
この下敷きとなっているのは、古代中国の明で作られた小説集『剪灯新話』の中に収録されている「牡丹燈記」という話です。それを、明治時代に活躍した落語家・三遊亭圓朝が、『剪灯新話』を江戸時代に翻案した『御伽婢子』の実話や怪談から着想を得て創作しました。
『怪談牡丹燈籠』の大きな流れは、実は人間関係が複雑に絡まり合った仇討ちの物語です。その中に、あの有名な、牡丹燈籠を携えて思い人を訪ねるお露さんの幽霊の話がもりこまれているのです。
非常に長い物語であるので、このお露さんの場面をあらすじとして紹介いたします。しかし、本当に面白い話であるので、ぜひとも全部を読んでみてほしいです。お露さんがなぜ、金を用意できたのか、そして、その後伴蔵夫婦はどうなってしまったのかなどを知ることができ、まさに人情の真骨頂ともいえる噺であります。
『怪談牡丹燈籠』あらすじ
その昔、根津の清水谷に浪人の萩原新三郎という内気な男がいました。ある日、新三郎は知り合いの山本志丈に誘われて亀戸の臥龍梅を見に出掛けます。その帰りに山本志丈の知り合いである飯島平左衛門の別荘に立ち寄ることに。
新三郎はそこで「お露」という美人なお嬢様と女中の「お米さん」に出会い、新三郎と「お露」は恋仲になるのでした。そして新三郎の帰り際に「お露」は「また来てくださらなければ私は死んでしまいますよ」と言い残します。
帰ってきた新三郎は来る日も来る日も「お露」に会いたいと思っていましたが、内気なので1人で会いに行く勇気がありません。
数ヶ月経ったある日、新三郎の元にやっと山本志丈が訪ねてきます。そして「お露」が恋焦がれるあまりに死んでしまったこと、「お米」も看病疲れで後を追うように死んでしまったことを伝えたのです。
それからというものの、新三郎は「お露」のために念仏を唱えるだけの毎日を送っていました。盆の十三日の夜、新三郎がいつものように「お露」に思いを馳せていると、カランコロンカランコロンと下駄の音が聞えてきます。
音のする方を見てみると、牡丹芍薬の灯籠を携えた「お米」と「お露」が歩いているではありませんか。3人は再開を喜び、次の晩もその次の晩も新三郎と「お露」の逢瀬は続きました。
ある夜に新三郎の元で働く伴蔵という男が、毎夜、新三郎の元に女が通っていることに気づきます。不審に思った伴蔵が新三郎の家を覗くと、骨と皮ばかりで腰から下が無い女が、新三郎の首元にかじりついていたのです。
驚いた伴蔵は、新三郎の相談相手である占い師の白翁堂勇斎に相談に行きました。白翁堂勇斎は新三郎の家に行き、「二十日を待たずして必ず死ぬ相が出ている」と宣告します。
「お露」が幽霊だとやっと認識した新三郎は、お寺の和尚から幽霊除けのお札と死霊除けの海音如来像を借りて帰りました。そして新三郎は家の周りにお札を貼り付け、海音如来像を身に着けてお経を読み上げるのでした。
その夜いつものように新三郎の家に「お露」がやって来ますが、お札があって家に入れません。困った「お露」は伴蔵の家に赴いて、お札を剥がすように頼みます。
はじめは幽霊を怖がっていた伴蔵とその妻のお峰でしたが、「お露」からお金を受け取ることを条件に、お札を剥がすことを約束します。次の日、伴蔵とお峰は新三郎の隙を見て、海音如来像を粘土で出来た不動像にすり替えてしまうのです。
その晩に「お露」がお金を持ってやって来ると、伴蔵は新三郎の家のお札を全て剥がしてしまいます。そしてお札が無くなると「お露」は、喜んで新三郎の家に入って行くのでした。
夜が明ける頃、幽霊の手引きをした後ろめたい思いがあった伴蔵は、白翁堂勇斎とお峰を連れて新三郎の家の様子を見に行きます。戸を叩いても返事のない新三郎の家におそるおそる入ると、中では新三郎が物凄い形相で虚空を掴みながら息絶えていたのです。そしてその首には髑髏がかじりついていたのでした・・・。
番外編:ひな吉オススメ古典怪談『雨月物語』
『雨月物語』とは
この作品が成立したのは安永・天明文化期です。作者・上田秋成によってえがかれた怪談集です。
収録されているのは、蛇の化身である女に付きまとわれる「蛇性の婬」、高野山で今は亡き豊臣秀次の宴に招待されてしまう「仏法僧」、崇徳上皇の亡霊と西行が議論をする「白峰」、僧が夢の中で鯉になって実際に釣り上げられてしまう「夢応の鯉魚」など。霊の恐ろしさを描きながら、人間の心をテーマにしており、ただ怖いのではなく、どこか心に染み入る、そんな話が多いです。
その中でも、「吉備津の釜」という話を取り上げたいと思います。
「吉備津の釜」あらすじ
正太郎という、酒と女遊びの好きな男がいました、家族は何とか身持ちを固めさせようと、磯良という娘と結婚させることにしました。磯良の両親もこの話に賛成します。
そこで、磯良の両親は結婚の前に、「御釜祓い」を行いました。この占いでは、釜でお湯が沸きあがったとき、吉兆ならば牛が吼えるような音が鳴り響き、凶兆ならば音が出ないといわれています。
ところが、占ってみると、釜からは何の音も出ませんでした。不安に思う両親でしたが、磯良が結婚を楽しみにしていることもあり、「たまたま音が出なかっただけだろう」と縁談を進めてしまいます。
磯良は夫によく仕え、正太郎も磯良を気に入り、結婚生活はうまくいくかに思われました。しかし、庄太郎の浮気性は治りませんでした。いつの間にか袖という名の遊女と恋仲になり、家にも戻らないようになってしまったのです。
磯良のことを気の毒に思った正太郎の両親は、正太郎を家の中に閉じ込めます。磯良は再びかいがいしく正太郎の世話をしましたが、正太郎はそんな磯良をだまして家を抜け出し、袖と駆け落ちします。磯良は嘆き悲しみ、ついには寝込んでしまいました。
一方、袖と正太郎は、袖のいとこである彦六の助けもあって初めは仲睦まじく暮らしていました。しかし、しだいに袖の様子がおかしくなってきたのです。まるで、なにか物の怪にでも憑かれたような袖の様子に、正太郎は「磯良の呪いでは……」と怯えます。正太郎の看病もむなしく、七日後に袖は死んでしまいました。
正太郎は毎日袖の墓に参る日が続きました。ある日、いつものように墓参りに行くと、若い女がいます。話を聞くと、仕えている家の主人が亡くなり、奥様があまりに悲しんで病に臥せっているので、自分が代わりに墓参りをしている、といいます。正太郎はその奥様に興味を持ちました。そして女の案内で彼女に会いに行くことになります。
女に連れられて小さな茅葺の家につくと、そこで待っていたのは磯良でした。「つらき報いの程しらせまゐらせん」(「どれほど辛かったか思い知らせてやろう」)という磯良の恐ろしさに、正太郎は気絶してしまいました。
気が付くと、そこは荒野の三昧堂(僧侶が修行する場所)でした。慌てて家に帰った正太郎は、陰陽師に助けを求めます。陰陽師は正太郎の体に呪文を書き、今から42日間物忌みをして、絶対に外に出てはいけない、と言い聞かせました。正太郎は磯良の霊に怯えながら閉じこもります。
さて、そのあとの正太郎の運命やいかに・・・・・。一押しの怪談なので、続きはぜひ、読んでみてください。
参考文献
・怪談NEWS by 竹書房怪談文庫 (takeshobo.co.jp)←怪談(主に文庫本、そのほか怪談のあらすじや解説などの記事が豊富)に関する情報がぎっしりつまったオススメのサイトです!
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