水木しげる ~現代の「妖怪」たちの生みの親~

 妖怪漫画家であり、妖怪画家。彼の著作で有名なものといったら、多くの人々がおそらく『墓場鬼太郎』をあげるでしょう。これがアニメ化された「ゲゲゲの鬼太郎」は国民的大人気アニメとなり、日本に妖怪ブームを巻き起こしたのは言うまでもありません。おそらく、多くの日本人の思い描く「妖怪」のイメージは彼の妖怪画が基本となっているのではないでしょうか。

目次

水木しげるの人生

 水木しげる(本名/武良茂)が「妖怪」と関わるきっかけとなったのは、彼の家に手伝いにやってくる老婆との出会いです。その老婆こそ、のんのんばあです。

水木しげるの人生

 水木しげる(本名/武良茂)が「妖怪」と関わるきっかけとなったのは、彼の家に手伝いにやってくる老婆との出会いです。その老婆こそ、のんのんばあです。

 のんのんばあは妖怪や祈祷師の世界について詳しく、幼い水木は夢中になって耳を傾けました。こうして、水木は次第に目に見えない存在や世界に興味をつのらせることとなります。

 そして、水木の人生に大きな影響を与えたのが太平洋戦争です。彼は当時21歳であり、南方最前線へと送られます。そこで、彼は左腕を失うこととなります。

 過酷な状況下の中で、水木は図らずも不思議な体験をします。夜のジャングルでは大木の倒れる音だけが聞こえる“天狗倒し”のような現象に出会います。また、敵に追われて一人夜のジャングルをさまよった時には“塗壁”のような現象を体験しました。そして、苦しい軍隊生活の中、水木は現地人との交流から、大自然に生きる人々の素朴な信仰や、精霊の世界を知ることとなるのです。

画像引用元:『水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ーお化けたちはこうして生まれたー』(2022)より

 復員後、水木しげるは様々な仕事で糊口を凌いぐ生活の末、紙芝居作家となります。その後は貸本漫画家へと転身、昭和40年に漫画の実力を買われ、少年誌デビューを果たします。『墓場の鬼太郎』登場です。一躍人気漫画家となった水木は創作物の中で意識的に妖怪を取り上げるようになります。さらに、テレビアニメ化した『ゲゲゲの鬼太郎』は、大ヒットし、同時に「妖怪」概念は広く浸透することとなりました。

画像引用元:ゲゲゲの鬼太郎(第1期)|アニメキャスト・キャラクター・登場人物・1968冬アニメ最新情報一覧 | アニメイトタイムズ (animatetimes.com)

妖怪画家・水木しげるの「妖怪」

 さて、妖怪文化史の再発見・発掘を促したともいえる水木ですが、ここでは「妖怪画家」としての水木について言及していきます。

 水木の「妖怪を生む」手法、すなわち妖怪を描き方は、ブリコラージュ(器用仕事)ともいえる手法をとります。これは、ある「素材」を寄せ集めて、別のものをつくり出すという思考・手法のことです。つまり、水木はある伝承上の「妖怪」を描くにあたり、彼が「素材」とするのは、その「妖怪」とはまるで関係のない、「水木がビビビッっと感じた妖怪みたいな要素」(それは古代の妖怪であったり、アフリカの民具であったり実に様々なのだ)を掛け合わせて生み出すのです。

 例えば砂かけ婆ですが、その元となる伝承は柳田國男の『妖怪談義』の「妖怪名彙」の「スナカケババ」です。

スナカケババ

奈良県では処々でいう。お社の淋しい森の蔭などを通ると砂をばらばらと振り掛けて人を嚇す。姿を見た人はいないという(大和昔譚)のに婆といっている。

スナカケババ

奈良県では処々でいう。お社の淋しい森の蔭などを通ると砂をばらばらと振り掛けて人を嚇す。姿を見た人はいないという(大和昔譚)のに婆といっている。

柳田國男『妖怪談義』

 この伝承をもとに、水木は三重県伊賀市の上野天神祭・役行者列に出てくる“笈持”なる鬼の仮面などを参考にしたと推測されています。

 

画像引用元:『水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ーお化けたちはこうして生まれたー』(2022)より

 ご存じの方も多いでしょうが、水木はこれを、「砂かけ婆」としてこのように描いています。

画像引用元:『水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ーお化けたちはこうして生まれたー』(2022)より

 

 じゃあ、水木しげるの絵は「本当の妖怪」じゃあないんじゃないかと考える方もいるかもしれません。しかし、そうではないのだとここでは伝えたいと思います。多くの人々に、「ああ、妖怪だ」と思わせる妖怪画を生み出せたことこそが、水木の特筆した点なのです。

 水木がやったことで何がすごいのかというと、彼はこれまで時代によって怪異」「化け物」と呼ばれてきた(あるいはその)不思議なモノゴトそのものをビジュアル化=キャラクター化させたということです。そして、江戸時代の「化け物」と決定的に異なるのは、水木の場合は、パターンを踏めば、それらはすべて「妖怪」というモノに回収されるような“仕組み”を構築したことといえます。

 水木しげるの仕事がいかにすごいかを、非常に簡単に説明してしまったせいで、なかなか伝わりにくいかもしれません。気になった方は、ぜひ京極夏彦先生の『妖怪の理 妖怪の檻』を読んでみてください。これでもかというほど詳しく、そして明解に水木しげるの仕事を、「妖怪」の仕組みを言及しています。

まとめ

 「妖怪」は、水木しげるの手によって、人々の間に定着したと言って過言ではありません。ひな吉はまさに、水木しげるの「妖怪」によって、この世界に導かれた一人です。彼の仕事に大きな敬意を表しながら、ひな吉も新たな妖怪文化を切り開いていきたいと思うのです。

 水木しげるの妖怪絵は民間伝承や「妖怪っぽい素材」を掛け合わせて生み出されている。

 水木しげるは、「怪異」「化け物」と呼ばれてきた(あるいはその)不思議なモノゴトそのものをビジュアル化=キャラクター化させた

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