雑記ブログの記念すべき最初の投稿では、なにゆえひな吉が妖怪を愛してやまないのかを書き綴りたいと思います。
始まりは「ゲゲゲの鬼太郎」
ひな吉と妖怪の最初の出会いは、アニメ五期「ゲゲゲの鬼太郎」でした。
おそらく、妖怪好きに限らず、大抵の人は「ゲゲゲの鬼太郎」から妖怪と出会うのではないでしょうか?ひな吉はまさに、鬼太郎によってこの世界に導かれました。(「ゲゲゲの鬼太郎」関しては、また別の記事で詳しく魅力に迫っていこうと思います。)
ひな吉は「ゲゲゲの鬼太郎」という作品自体も物凄く好きだったのですが、同時に水木しげるの妖怪画に強く惹かれました。幼いころのため、記憶があやふやで題名を思い出すことはできないのですが、家の本棚に水木しげるの妖怪図鑑があったのを今でも覚えています。裏表紙にはたしかカシャボが描かれていたと思います。その妖怪図鑑、とにかく何十回もくりかえし読んでいました。
個人的に一番印象に残っているのは、「山爺」という妖怪ですね。
とにかく、何かをえぐる描写をしている。本当に夢に出てくるんじゃないかと思うくらい、めちゃくちゃ怖かったのを覚えています。
ひな吉が思うに、妖怪は「妖怪」という言葉でしかくくることのできないモノ(あるいはコト)です。不気味、それでいてどこか滑稽、かと思えば恐ろしい側面もあったり、美しい話を残していたり・・・・・「妖怪」はたくさんの表情を見せてくれます。こうした他のものにはないような魅力に、ひな吉はとりつかれてしまったのでしょう。
「妖怪好き」を隠す青春時代
中学生、高校生になってもやはり、ひな吉はずっと妖怪が大好きでした。しかし、それを口外することはほとんどありませんでした。「妖怪が好きなの?へー・・・、変わってるね・・・。」と、周りから言われるのが、嫌だったのです。
ちなみに、皆さんはどう思いますか?高校で自己紹介の時に、「好きなものは妖怪!今一番欲しいものは京極夏彦先生の『姑獲鳥の夏』です!」なんて言う人がいたら。一部の人は「こいつは面白いぞ」と思うかもしれませんが、大抵はドン引きでしょう。ひな吉はそれをすごく恐れていました。
今思えば、中学生・高校生の時の自分は周りの目をとにかく気にしまくっていました。選ぶ部活もそのとき仲の良かった子と同じ部活を選んだり、ここに入っておけばクラスカーストで中間層には入れるかなとか、そんなことを考えていたものです。今思い返せば、とてつもなくめんどくさい奴なのですが。
“遊び心”としての妖怪
中学生や高校生は受験を経験し、自分の将来について考えだす時期です。社会というものを学ぶ途上といってもいいでしょう。勉強しなくては、いい大学に入れない。みんなと違うことをすれば、指を指される。決して意識しているわけではないけど、だんだんと心のどこかで、子供の時には誰しもが抱いていたはずの、無敵感を失っていくのです。
そんなふうに、どんどん考え方が凝り固まっていく中で、ひな吉の中に残された唯一の遊び心が、妖怪でした。
遊び心、すなわち無駄です。
個人的に考えるに、妖怪は無駄でできています。妖怪を好きにならなくても、生きていくのには困りませんし、むしろ妖怪のためにお金を使う(グッズを買ったり辞典買ったり)なんて、どぶに諭吉さんを捨てているようなものです。
しかし、そんな無駄がひな吉を支えてくれていたのも確かなのです。これは持論なのですが、人間は遊び心がなければ生きていけません。
ひな吉が尊敬する人でも三本指に入る、とある塾の先生が教えてくれたことですが、工学用語でいう「遊び」とは、接合部に設けられた隙間のことをいうらしいです。隙間を設けることで、材質が歪んだり破損するのを防ぐのだそう。人間も、同じではないでしょうか?そうでなければ、こんなにも世界に娯楽があふれることはなかったはずです。
変人でいいんだ
現在、ひな吉は茨城県に所在する国立大学・筑波大学に在籍しています。
筑波大学のホームページには、ITF.だの国際性だの学際性だの云々と書かれていますが、この大学の特色を一つ上げろと言われたら、ひな吉は真っ先に「変人が多い」と答えます。
何を言うのかお前はという気持ちでしょうが、とにかく変人が多い。それも、なかなかぶっ飛んだ連中がわんさかいます。筑波大学がすごいところは正直、最先端技術でもなければ国際色豊かなところでもない。とにかく、人材の豊富さにつきます。
ぶっとんだ連中に関してはさておき、そんな変人だらけの学校で、ひな吉は天啓を得ました。
「変人でいいんだ」
自己紹介で「妖怪が好きです」と暴露しても、ドン引かれるどころか仲間が増えたのには衝撃を受けましたね。そんな環境に自分がいることができるのを、今でも本当に感謝しています。
「妖怪」を学ぶということの出会い
ひな吉は大学に入学する前に、受験期の反動で本をたくさん読んでいた時期がありました。その時に読んだものが、小松和彦先生の『憑霊信仰論』と香川雅信先生の『江戸の妖怪革命』でした。これらの本は、ひな吉に「妖怪」というものを学術に考察することができると教えてくれたものです。
これまで、ひな吉は「妖怪」といえば水木しげるのあの妖怪画で認識し、そのビジュアルが大好きでした。また、時に「妖怪」がもつ伝承された(あるいは後世で創作された)ストーリーが大好きでした。
これまで、ただ好きだった「妖怪」だったのですが、そこに好奇心が加わったのです。
「妖怪」ってそもそも何なんだ。今までどういう扱われ方をしていたんだ。あれ、「妖怪」って思っていたよりも実は闇が深い?こういう思いから、もっと「妖怪」を知りたいと考えるようになりました。それからというもの、ひな吉は「妖怪」や「怪異」について書かれた本を少しづつですが、読み漁るようになりました。
こうして、ひな吉はただの妖怪好きから、「妖怪」を学ぶものとなりました。「妖怪」について調べていると、今まで自分が出会えなかったような話に出会えたり、そんな解釈があったのかと気づかされることが多々あります。まだまだ「妖怪」を学ぶものとしては知識が浅いですが、それでも、学ぶことを止めないようにしたいと思っています。
おわりに
以上が、ひな吉の簡単な人生録でした。これはあくまで私個人の妖怪好きとしての人生です。きっと、妖怪好きな皆さんひとりひとりに、自分だけの妖怪との出会いがあるのだと思います。どうか、それを大切にしてほしいと思います。
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