深川お化け縁日の今昔
2010年から造形作家の北葛飾狸狐(@kitakatushika)さんが中心となり、怪談を通じて土地の記憶と魅力を掘り起こすことを目的に、さまざまなイベントが実施されている深川お化け縁日。
そんな深川お化け縁日ですが、どのようにして今日に至るようになったのでしょうか?
深川お化け縁日の発起人である北葛飾狸狐さんは、新潟で開催されていた「越後妻有怪と談展」などに昔は参加していたそう。
けれど、新潟まではちょっと距離が遠い・・・・・。地元の怖い話を展覧会にできないかと考えていたそうです。
そんな時、「Art Labo深川いっぷく」というフリースペースを運営する方と知り合い、「深川怪談」という怪談会をそこで開催することに。
この不随イベントとして、お化け縁日をやっていたのだそうです。商店街関係者による、本当に小さなイベントでした。
それが、2010年―――深川お化け縁日の始まりです。
このイベントに文芸評論家の東雅夫さん(当時立川在住)が訪れ、「面白い」と感じ、アドバイザーになってくださったのだそう。
以降、怪談名所を歩くイベントや、朝まで百物語をる怪談イベントなどをやっていくうちに、怪談好きや妖怪好きが各地から集まり、お化け縁日は次第に規模を大きくしていったのです。
ここまで規模が大きくなるには、その裏側でたくさんの苦労があったようで、北葛飾さんは実になつかしそうに語ってくださいました。
「雨が降ってしまったら縁日はできない。だから深川江戸資料館の室内でやったときがあったのだけれど、あまりにも過密すぎて、もう芋洗い状態だった。入場制限までかけられちゃったりして(笑)」
現在は、商店街の方々の全面的な協力と理解を得ながら、こうして毎年商店街にて開催が行われているというわけです。
深川お化け縁日に出店する方々は、超とんがったマニアから、ふわっと妖怪が好きな人まで、ゆるーくなんでも受けいれているのだそう。
「やっている人が、楽しいことが大事」
北葛飾狸狐さんのその言葉は、創作・活動界隈では正鵠を射ていると思います。
妖怪作品の創作家界隈以外にも、どんな活動にもいえることですが、とくにそれは”妖怪”という特殊なジャンルにおいては特に深い言葉なのではないでしょうか。
妖怪を「楽しむ」ことを考える
妖怪というモノは、正直なくても生きていけるもの。まさに無駄の権化。
にもかかわらずに昔から根強い愛好家たちがいて、定期的に妖怪ブームなるものが起こるのは、やはりそれを楽しんでいるから、面白いと思っているから、好きだから、なんだと思います。
妖怪に惹かれる理由は人それぞれだと思いますが、近年の妖怪系のイベントが各地で開催されているのは、そうした「妖怪を楽しむ」ということが、一般的になりつつあるということです。
楽しむものとしての妖怪・・・これは実に不可思議です。
古い時代、怪しいモノゴトは、「怪異」として恐れられきたはずですが、現代の人が図像化されたそれらをみると、恐れるどころか、「妖怪」として好むのです。
「妖怪」が大衆の広まった立役者は、水木しげるがもう代名詞のようになっていますが、それでも「楽しむものとしての妖怪」までは、流れができていなかったんじゃないかと思います。
過去を連想するのですが、当時の人たちは、水木の絵を見て、「ははあ、これが河童ね」とはなったのだろうけど、「わー、河童じゃん!可愛いデザイン!」とはならなかったと思うのです。(もちろんなった人はいるかもしれませんが、少数派ではないでしょうか。)
何が言いたいのかといえば、「妖怪」は水木によって確かに広まりました。しかし、妖怪というもののデザイン性や、その妖怪を取り入れた何かを「楽しむ文化」は、どっから出てきたのかを問うたとき、ううんとうなってしまいます。
ここまでぐだぐだと考えてきましたが、やっぱり結論は出せないです。
あとがき
妖怪という一つのジャンルができ、大人にも子供にも娯楽として受け入れられ、徐々に広まりつつある今日。深川お化け縁日は、まさに楽しむものとしての妖怪文化の最先端を行くものだと思います。
妖怪というジャンルと述べましたが、ジャンルといっても、その輪郭はぼんやりとしています。「なんか、お化けっぽい」「なんとなく、妖怪らしい」という、漠然としたイメージが人々の中にはあるからこそ、このジャンルが成り立っていると思われます。
そして、そのゆるさゆえに、妖怪は、無駄に適当に広がっていく。
まさに、妖怪らしいです。
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