風俗史学者にして、伝説研究者。江馬務と同時期に活躍した人物です。彼の著作には『日本民族伝説全集』や『妖怪画談全集』などがあげられます。
しかし、井上円了や柳田國男よりも、もしかしたら知っている方は少ないかもしれません。
藤澤にとっての「妖怪」
藤澤衛彦の研究は、風俗学をはじめ、児童文学・童謡・歌謡研究、伝説・巷説の蒐集、風俗絵画・玩具などの蒐集、猟奇・犯罪・変態研究・・・様々な分野にわたります。藤澤はまた、見世物や大衆芸能などの下世話なモノゴトに対する研究をしながら、大量の資料を蒐集しました。
児童文学、化け物の絵や玩具、猟奇・変態風俗などは、一見すると「妖怪」とは関係がないように思えるかもしれません。しかし、こうした作りゴト、作りモノ、幼稚なモノ、下世話なコトが、藤澤によって「妖怪」に結びつけられていくのです。藤澤にとっての「妖怪」は、ジャンルを問わぬ雑多な要素の中から抽出された、エロティックであり、グロテスクな文化の表出であったといえるでしょう。
「妖怪の総大将・ぬらりひょん」の生みの親
昭和四年(1929)に、藤澤は雑誌『獵奇畫報』を刊行し、同じ年に『妖怪画談全集・日本篇上』を出版します。この本では、鳥山石燕などが書いた江戸初期の化け物の絵が、地方から蒐集した伝説の挿絵として扱われています。これが意味するところはすなわち、伝承とは無関係な図版が多く掲載され、無関係な解説が書かれている、ということです。
例えば現在、ぬらりひょんが妖怪の総大将として紹介されているのも、この『妖怪画談全集』の解説文によるものだそうです。こうした解説が藤澤やその他のスタッフによる創作なのかを断定することはできませんが、先行する資料にはそうした文言は現在のところ見られないようです。しかし、これが後に真偽を問われずに様々な場面で引用されてきた結果、定着した俗説だということはいえます。
娯楽としての「妖怪」
本来無関係であるはずの伝承と画像を並列に並べ、創作した(と考えられる)解説をおいた藤澤の手法には、賛否両論が上がります。しかしその一方で、娯楽提供者として藤澤は大きな結果を残したともいえます。通俗娯楽としての「妖怪」を生み出した藤澤の仕事は、佐藤有文をはじめとする子供向け妖怪図鑑の書き手たちに引き継がれています。
ここから先はひな吉個人の考えとなってしまいますが、純粋な「妖怪」というものは存在しないのではないでしょうか。「妖怪」という言葉は、現在に至るまで多くの人に使われ、意味づけがなされ、その言葉が持つ範疇は広がっています。だから、我々が口にする「妖怪」という存在もまた、移り変わってしかるべきものなのです。むしろ、人ともに変化し、その時代における人に応じた姿をみせるのが「妖怪」なのではないでしょうか。
ある意味で、藤澤は「妖怪」を生み出すということを考えた最初の人と言えるかもしれません。
まとめ
藤澤のスタンスは学術的な方面からは高い評価を受けることができませんでした。
しかし、現在に広まっている「妖怪」イメージの形成に貢献した人物です。娯楽提供者としての彼の功績があったからこそ、今日の妖怪図鑑などの「妖怪」の表現物が大量に生み出されているといっても過言でもありません。
藤澤衛彦によって、「妖怪」に大衆的な側面が付与された。
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