日本の民俗学を確立した人物として広く知られる人物であり、「妖怪」と聞けばまずはこの人を思い浮かべる人は多いはずです。『妖怪談義』『遠野物語』などが彼の「妖怪」関連の著作として有名でしょう。
柳田國男の「妖怪」研究
柳田國男が、井上円了が「妖怪」に合理的な説明を与えて無効化しようとしたことに意義を唱えたことは有名です。
柳田は日本人の信仰の推移を「妖怪」から伺い知ることができるとし、妖怪研究を民間伝承研究の体系の中に本格的に位置づけようとしました。すなわち、妖怪を民俗学の体系の中では心意伝承としてとらえていたのです。
柳田は当初、天狗や山男などの山中に現れる「妖怪」的存在(柳田は山人と呼びます)に関心を持ちました。そして、それらは大和朝廷との闘いに敗れ、山中に逃れた先住民であると考えます。
しかしその後、柳田はこの自身の仮説を放棄。妖怪とは神が零落した姿であると主張しました。古代において神として信仰されていた存在が、次第に人間の信仰心を失い、祭祀の対象からはずされていった結果、人間に害悪をもたらす超自然的な存在、すなわち「妖怪」と考えられるようになったとします。
柳田民俗学における「妖怪」
柳田は民俗社会にあふれかえるありとあらゆる事象を、コトバとして蒐集しそれをジャンル分けすることで整理・統合しようとしました。そうして、山村語彙、漁村語彙、祭礼語彙など、様々なジャンルに整理されるようになり、語彙を項目に立ててリスト化することは民俗研究の定番となるのです。
しかし、蒐集された語彙の中には既存の枠に当てはまらない言葉が存在します。その言葉というのが、「天狗倒し」であったり、「コナキヂヂ」であったり、「小豆洗い」であったのです。これらは「信仰」でも「まじない・迷信」でもない、ましてや神仏の類でもありません。柳田はこれらの総称として、「妖怪」という言葉を用いたのです。そして、昭和十三年(1938)『民間伝承』誌上に発表された「妖怪名彙」にまとめられています。
さて、では民俗学における「妖怪」とはどういうものなのでしょうか。どこにも当てはまらないコトバは、“モノ”でもあり“コト”でもありました。
例えば、「天狗」は「化け物」という“モノ”に対する名前でもいいでしょうが、「天狗倒し」は“モノ”ではありません。「山の中でひとりでに木が切られて倒れる音がする」という事象、すなわち“コト”なのです。民俗学における「妖怪」とは、”怪しいモノゴト”なのです。
零落説の見直し
さて、柳田の「妖怪」研究に今一度立ち戻りましょう。柳田の零落説、すなわち神→妖怪の構造は当時広く受け入れられました。
しかし、現代において小松和彦により、神→妖怪というのは一元的な見方であるという批判がされました。もし、神→妖怪という構造しかないならば、古代においては、神という人にとってプラスな存在しか存在しなかったことになります。そうではなく、善と悪の(人間にとってプラスなものもマイナスなものも)両方が並立していたはずだ、ということです。(小松和彦による妖怪研究『憑霊信仰論』は別記事でまとめたいと思います。)
まとめ
民俗学において、分類できなかった“怪しいモノゴト”に「妖怪」という総称が柳田國男によって与えられた。
柳田國男は「妖怪」を民俗学の体系の中で心意伝承としてとらえようとした。
柳田國男は妖怪は神が零落したものだとする零落説を唱えた。
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